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家族が日本に一時帰国中

 先週の木曜日から、家族は日本に一時帰国している。子供の学校の秋休みが1週間ほどあり、それを利用しての帰国なので、今週末には戻ってくる予定だ。家族がいない独身状態なのでさぞかし羽を伸しているだろうと皆さん想像するかもしれないが、まあ伸ばしているのは事実だが、その方向がちょっと違う、実は家族がいなくて増えた自由時間はほとんど全て英語の勉強に充てているのだ。
 最近、ちょっと本気で英語の勉強をしているのだが、学習した時間を項目別に詳細に記録するようにしたのだ。記録を取ると、自分の頑張り・サボリ具合が一目瞭然になるからだ。そしてこの記録を取るようになってから、俄然やる気が出てきたのである。通勤時間、会社での休憩時間など、細切れな自由時間をなるべく勉強の時間に当てるようにしたのだ。そうすると、家族がいて自由時間が少ないときでも一日当たり最低2時間は確保できる。結構時間は作れるもんだねえと感心している。

 何で時間にこだわるかというと、一般的な日本人の場合、ものすごい量の勉強が必要なことがわかったからだ。インターネットで色々調べてみたら、普通に生活ができる程度の英語をマスターするのに必要な勉強量は、日本人の場合、3000時間くらいらしい。これがドイツ人、フランス人などのヨーロッパ人の場合、700時間程度ですむ。これを知った時はへぇ~と驚いた反面、どうりでこちらに住んでいるヨーロッパ人はみんな英語がペラペラなわけだ、と納得ができた。

このあたりの詳しい情報は、下記のリンクを参照して下さい。
http://www.eigozai.com/STUDYG/STUDYG_D/STUDYG_5.pdf
http://eng.alc.co.jp/newsbiz/hinata/2006/03/--30004000.html
http://eng.alc.co.jp/newsbiz/hinata/2009/03/post_558.html

しかし、一日2時間の勉強量だと、3000時間をクリアするには4年くらい掛かる。またまたひぇ~であるが、日本人に生まれた以上これはしょうがないことなのだ。ということで、ブログを書く暇があるんなら勉強しなくては。。。
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Gunung Merbabu(ムルバブ山)登山

 先週の週末はGunung MerbabuというSemarangの南、約50kmくらいにある町Salatigaの西側に聳え立つ3145mの山に登ってきた。息子の同級生の両親が企画した計画に誘われたので参加したのだ。
 一緒に登ったグループは、オランダ人(2名)、カナダ人(1名)、ニュージーランド人(1名)アメリカ人(1名)、インドネシア人(6名)そして日本人の僕、合計11名の大所帯だ。実はこのMerubabu山には2年ほど前、タスマニア旅行に行く前にトレーニングを目的に来たことがある。その時は、日帰りだったので2100mくらいまでしか登らなかったが。
 今回は、山頂まで登る計画であるが、登山口の標高は1600m、山頂までの標高差は1545mもあるので日帰りはちょっとつらい距離である。山頂直下に良いテン場があり、通常は1泊2日で登るらしい。我々もその予定である。
 ところで、インドネシアの登山ではポーターを使うことが多い。今回もポーターを5、6人雇った。今回のメンバーの大半は登山経験が少なく、泊まり装備を担いでの1500mの高低差はちょっと厳しいのであるが、ポーターのおかげで、みんなほとんど空身で登れるので楽勝なのである。ちなみに僕とニュージーランド人のPhil(SISの先生)とインドネシア人のVeroだけが自分でザックを担いだ。

 息子の同級生の両親以外はほとんどが今回が初対面だったので、僕はみんなに自己紹介文を配った。今回のパーティーは英語が共通語なのだが、僕は英語が苦手でなかなか自分のことをうまく説明できないので、事前に僕のプロフィールを書面にまとめておいたのだ。これを読んでもらえば、僕のことをよくわかってもらうことが出来、あとからの会話も比較的スムーズになるのだ。ちなみに、僕以外はほとんどの人が英語が達者だった。実はSemarangの駐在者(日本人以外)で英語が出来ない人には会ったことがない。たとえ、英語が母国語でなくても外国で働く駐在者足る者、英語が出来ることはごく当たり前のことのようだ。唯一日本人が僕も含めて駄目(当然、達者な人もたくさんいる。全体を比べての話)。これはよく言われることだが、こうあからさまに見せ付けられると、日本の教育制度は根本から改めないといけないと思う。しかし、まあ教育制度のせいにしても何も解決しないので、結局は自分で地道に勉強するしかないのだが。。。。

 登山の話に戻ると、土曜日の朝、友人の家に集合しSemarangから車3台に相乗りをして、登山口の町Kopengに向かった。登山口にはポーターが既に待っていた。みんなに荷物を預けて登り始める。Merbabu山は火山なのでアップダウンはほとんどなく、ひたすら登る。ただ、傾斜はそれほどきつくなく。マイペースで登ればそんなにきつくない。ヨーロッパ人主体のパーティで、おまけに彼らはポーターに預けて荷物を担いでいないので、最初はとんでもないハイペースになるのではないかと、とても心配していたのだが、山に不慣れな女性が4名おり、彼女らにペースを合わせて結構ゆっくりなペースだった。これには助かった。
 登山口(標高1600m)を10時半頃に出発した。トレールは意外にきちんと整備されており、とても歩きやすい。傾斜もあまりなく快調に進む。昨日の雨の影響で山頂付近は雲に覆われて見通しが悪い。時々小雨もぱらつく。2時頃に木立がないちょっとした広場に到着。この頃になると天気も回復し、山頂付近の見通しが良くなる。広場から山頂の方を見ると巨大なアンテナ塔が立っている。あれが2900mのピークで、それを越えると山頂までリッジ状の尾根が続くらしい。


登山口。中央はFrank
ベースキャンプ


登り始め。軽装で楽そう
最初の登り


ダブルザック+頭にも乗せているポーター
ポーター1


2900mのピーク手前の広場。タワーは携帯電話用(写真では見えにくいがピークにある)
だが設備は盗難にあってからっぽ。設置→盗難→設置→盗難といたちごっこの繰り返しで、結局あきらめて放置してあるようだ。
広場
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 3時半頃に2900mのピークに到着。テン場はこの尾根の先にある。この頃になるとさすがに疲れて来た。僕とPhil以外はみんな空荷なので快適そうだ。特にPhilは結構疲れているようで、徐々にペースが遅れて来た。坂が急になるとしんどいなあと言うような事をぼそぼそとつぶやいていた。


頭にザックを載せるポーター
ポーター2

 4時過ぎにテン場に到着。この付近は硫黄の匂いが漂っており、ちょっと日本の温泉を思い出した。さっそくテントを4張りはる。標高2900mなので気温はかなり下がっており、夏に慣れた身には非常につらい。薄いダウンジャケットを着てもまだ寒い。食事の後は、たき火をしてみんなで暖をとる。しかし欧米人はインドネシア生活が長くてもやはり寒さに強い。半ズボンで平気な顔をしている。Philがウクレレを取り出して歌い始める。たき火を囲んで聞くPhilの歌はなかなか風情があっていいのだが、寒さに耐えかねて僕は8時過ぎにテントに入った。


テン場。ちょっと下がったところに水場もある
奥に見えるのが山頂。左側から尾根を回り込む。
テン場

 翌朝の天気は快晴で最高だった。日の出を見るのにちょうどいい天気だったが、あいにく東側の尾根が邪魔で日の出を見ることが出来なかった。6時過ぎに山頂へ向かう。ここからはリッジ状に両側が切れ落ちた尾根を進む。岩場もほとんどなく快適なトレールが続く。山頂付近は高木はないが、植生に覆われており、岩が露出していないからだろう。赤道付近の森林限界の平均は3700m位だと何かに書いてあったと思ったが、Merbabuは独立峰で火山という関係から多少は低いと思う。3000m弱ではなかろうか。


山頂直下の尾根道
尾根

 山頂にはすぐに着いた。みんなで記念撮影したり、景色を眺めてしばらく過ごす。南側にはMerapi山(標高2911m)がよく見える。活火山で信仰の山としても有名だ。北側もUngararan山(2050m)、北西にはSundoro山(3136m)、Sumbing(3371m)と高山が並んでいるのがよく見える。どれも成層型火山なので富士山にそっくりである。


Merapi山をバックに記念撮影
Merapi


北西方面の山。一番右がDieng高原。中央がSundoro山(3136m)、左側がSumbing(3371m)。
来た野山


インドネシアのエーデルワイス。花の季節は過ぎたらしい。
エーデルワイス


山頂からの下山風景
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左の下に写っているのがテン場
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僕の装備。
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 山頂からテン場に戻って、片付けをして出発したのが10時半。下りは急場がないので、足にあまり負担もかからない。途中何回か休憩するが、その都度、Philがザックからチョコレートバーを取り出してみんなに配る。Inaもパンとかお菓子とか配りまくる。持って帰ってもしょうがないと思っている為か、派手に配るので、自分のレーションを食べる機会がなくなってしまった。
 4時前に登山口に到着した。みんな大体同じ頃に到着したのだが、Jeparaから来たインドネシア人のグループが遅れているようだ。彼らはボディビルを趣味にしているらしく、非常に立派な体格なのだが。山はまったくダメなようだ。最初会った時は、インドネシア人だし体格が立派なのでポーターかサポートかと勘違いしたのだが、ああいう身体は持久系には向いていないらしい。プロテインばっかり取ってダイエットしているのでスタミナが全然ないらしいのだ。
 帰りの車は彼らとは別なので、我々だけで先に帰ることにした。帰りはSIS(子供の学校)の車に乗せてもらった。運転手のLukiは結構面白い人物で、車内の会話を盛り上げてくれた。英語が結構出来るのだが、SISで働くようになって覚えたらしい(約4年勤務)。そのため事あるごとに「私は皆さんのように学校に行って英語を習った訳じゃないので、間違いも沢山あるし、聞き取りにくいかもしれませんが勘弁して下さいね」と何度も言う。その都度、アメリカ人のNoreenが「そんな事ないわよ、十分通じているわよ」と慰めていたのだが、それに気を良くしたのか段々話がエスカレートして来る。プライベートな話に発展して来たのだ。Noreenに、「この前一緒に食事をしていた男性は、ボーイフレンドでしょ」といきなり尋ねた。「えっ? 誰の事、私ボーイフレンドはいないわよ」とちょっと慌てた感じ。「タイから来たとか言ってた人ですよ」とluki。「えっ、彼?、違うわよ、彼にはちゃんと奥さんもいるんだから」「そうですか? ボーイフレンドに見えたのになあ」、これには、僕もちょっとまずいよNoreenも怒るよ、と心配になった。Philには「あなたの奥さんは初恋の人ですか」とまたまた失礼な質問をしたら、意外にもPhilは「いや違うよ、僕の前の恋人の名前はね。。。」とか真面目に答えたりとか、まあ、色々な話題で盛り上げてくれた。彼を見て思ったのは、外国語をマスターするには、やはりコミュニケーションを取りたいという思いが一番重要ではなかろうか。技術云々より、その姿勢、思いが重要だな。と改めて思った。

 ということで、無事に旅も終わったが、今回の収穫は、Merbabuに登ってインドネシア初の3000m級峰を経験できた事。古傷の膝関節がほぼ完治しており、3000m級の幕営山行にも問題がないことがわかった事。新しい友達が出来た事である。
 さて、次はどこにしようかな。実は帰りの車でPhilが次はケイビングがいいなあとつぶやいていたのだ。ひょっとして次は僕が主催者?

ところで、今回の山行に僕が参加できたのたのは、家族全員の、特に妻の協力のおかげだと言う事は言うまでもない。最初は行くのを渋っていた僕の尻を妻が叩いてくれたから、参加できたのだ。家族みんなに感謝しています。

誕生日会

 最近は毎週日曜日は合気道の稽古に通っているが、先々週は道場の先生の子供の誕生日会があった。集まってきたのは道場に通う子供たちとその親だ。華人(外国に定住して現地語をしゃべり土着した華僑のこと)の金持ちなので、飾り付けが中国風でなかなかおもしろい誕生日会であった。妻と息子は華人の友達が多いので、すでに数多くの誕生日会を経験しているが、僕は初めてだったのだ。
 しかしインドネシアの華人というのは、もともとは中国からやってきた中国人であるが、こちらに土着して長いので、すでに独自の文化があるような気がする。言葉はもちろん服装、性格も中国人とはだいぶ違うと思う。やっぱりインドネシアの文化・気候の影響を受けている性か、より穏やかで上品になっている気がするのだ。僕の経験で言えば、本土の中国人はもっとストレートできつい人が多いのだが、こちらの華人にはそんな人がほとんどいない。例えば、本土の中国人は食事中に食べかすをポンポン、次から次に床に捨てていくけど、こちらでは見たことがない。酒もほとんど飲んでいない(外ではね)。やっぱり全然違う民族のような気がする。

会場はHarumiの二階
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奥に見える茶色い塔はチョコレートフォンデュ。塔の先端からチョコレートが噴水のように吹き出して来る。イチゴなど好きなものをフォークに差して塔に突っ込むのだ
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道場に通う子供たち
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立派な飾り物。でも素材は発泡スチロール。
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Komodo島ツアーその4

 3日目。海で過ごすのは今日が最後である。いつものように朝6時に起床して出航した。
 次の目的地はBidadari島である。かなりLabhan Bajoに近づいてきたようだ。昨日の晩から携帯の電波が良く入るようになり、クルー達も暇さえあれば電話をしている。娯楽設備も何もないので、電話が楽しみなのだろう。ここで気になったのは彼らの言葉。ツアーに参加したときから気が付いていたのだが、クルー同士の会話もインドネシア語なのだ。僕が住んでいるSemarangはJawa島のど真ん中、ジャワ文化圏の中心にあることもあり、住民はみんな普段の会話には地元の言葉ジャワ語を使うのだ。会社でも、ローカルスタッフ同士で話す時はいつもジャワ語である。ミーティングやかしこまった時だけインドネシア語を使うのだ。そんな風景に慣れていたので、クルーの会話はちょっと不思議だった。Beniに尋ねてみると、Flores島は言葉が細かく分かれており、7つの県があるが、それぞれ言葉が違うらしい。クルーはLabuhan Bajoに住んでいるが、出身はそれぞれ別なので共通の言葉はインドネシア語になるらしい。地方語は田舎に帰った時だけ使い、街での生活はいつもインドネシア語が普通だそうだ。そういえば、BaliでもLombokでもローカル同士の会話が、インドネシア語のことも多い。結局、やはり少数民族の言葉は生き残るのが難しいということか。ジャワ語は最大民族言語だから、当分は存続するだろう。しかし、書き言葉としての地位は、かなり前にインドネシア語に奪われてしまったそうだ。今の若い世代はジャワ語での読み書きは出来ないらしい。

 話が飛んだがBidadari島に着いので、さっそく泳いだ。ここは流れもなく、息子も安心して泳ぐことが出来る。今回のツアーでは、ここが一番シュノーケリングをを楽しむことが出来た。2時間くらい泳いだあと最後の経由地に向けて出航した。

毎朝Beniが紅茶を用意してくれる
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Bidadari島の浜辺
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魚たち
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 次の目的地はBajo島。Labuhan Bajoのすぐ沖にある島だ。ここは町に近いので、水質もあまりよくなく、泳いでもあまり楽しくない。浜辺で遊ぼうと思ったら、息子がウンコがしたいと言い出した。しょうがないので浜辺の隅っこに連れて行ったが、なかなか出ないようだ。実はこのツアーに参加して以来、大きい方の用は足していないのだ。たぶん便秘で硬くなって出ないのだろう。しばらく踏ん張ったが、いきむとお尻が痛いらしい。途中から痛みに耐えかねて泣き出した。あんまり大きな声で泣くもんだから、Beniが心配になって船からやって来た。便秘のようなので、後で薬屋に連れて行って欲しいとお願いした。

Bajo島の浜辺
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 泣きじゃくる息子を連れて船に上がり、すぐに出航した。Labuhan Bajoに入港したら、クルーへの挨拶もそこそこに薬屋に急いだ。Labuhan Bajoはすごく小さな街なのだが、ちゃんと薬屋はあるのだ。ちなみにインドネシアは意外に薬屋は充実しているのだ。スーパーでも普通に売っているし街中でも結構見かける。さて、店の人に症状を言うと、すぐに座薬タイプの下剤を出してくれた。息子は一度浣腸を経験したことがあり、その時結構痛かったので浣腸を恐れていたのだが、これなら安心だ。使い方を教えてもらって、すぐにホテルに向かった。
 さっそくホテルのベッドに息子をうつ伏せにし、お尻に座薬を入れようとしたのだが、なぜか薬が柔らかくて肛門に入れようとしたら潰れてしまって半分くらいしか入らない。え? あせった僕は、指で溶けた薬を集めて肛門に突っ込んだ。うまく入らないので何度も指を突っ込む。これがどうも痛いらしく、息子が「痛いよう!」と抗議の声を上げる。実は後から気が付いたのだが、薬を買った後、ズボンのポケットに入れていたため、僕の体温で溶けてしまったようだ。せっかくの座薬だったのに、結局浣腸と同じように痛かったらしい。息子には悪いことをしてしまったなあ。ゴメン。
 何とかほとんどの薬を入れた後、15分位したら便意を催したらしく、息子は便所に駆け込む。しばらくしたら「出たよう!」と喜びの声が便所から聞こえた。うーむ、よかった、よかった。
 
 便秘騒動が落着したので、ホテルで景色を眺めながらのんびり過ごしていると、Beniの代わりの係員がホテルにやって来た。はて? と思っていたら、彼がすぐに案の定、悪い話を始めた。内容は、どうも帰りのエアーチケットが取れていないらしい。そういえば、ホテルにBeniに送ってもらった時、帰りのチケットを見せて欲しいと言われたので、Baliの係員に、こっちで受け取ってくれと言ったので自分は持っていないよ、と伝えたのだが、Beniはちょっと怪訝な顔をしていたのだ。そうですか。後で調べて持ってきます。と言ってその場は別れたのだが、こういうことだったのか!
 内容を詳しく聞くと、今日はBaliのオフィスが休みで連絡が取れないので航空会社に確かめたら、僕達の予約が入っていないことがわかったそうだ。おまけに明日の便は全て満席で予約が取れないらしい。結局、Baliのオフィスの手配漏れのようだ。「どういうことだ。すでに料金は払っているし、Baliの担当者からはメールでOKの返事はもらっているぞ」と怒る僕。何とかしろよと凄んだが(実際はもっと紳士的)「とりあえず、あさっての便を押さえます。明日の晩もこのホテルに泊まっていただけませんか」と彼。「明日の便をキャンセル待ちでも何でもして取ってくれ」と僕。「わかりました。明日は朝から空港に行ってキャンセル待ちを私がします。その間は、係員が、Labuhan Bajoの近辺の美しい浜辺や洞窟に案内しますから、勘弁してくれませんか」と彼。美しいビーチに洞窟と聞いたとたん、もう1泊するのも悪くないなという気持ちが浮かんだが、Baliで待っている妻や娘のことを考えると、これ以上我々だけで楽しむわけにいかん。怒る妻の顔が目に浮かぶ。うーむどうしよう。などといろいろ考えていたら「BaliからSemarangにお帰りのエアーのスケジュールはどうなっていますか」と係員。突然だったので「帰りは土曜日なんで、実は2日間は余裕があるんだよね」とつい本当のことを言ってしまった僕。そのとたん彼はちょっとほっとしたような表情になる。しまった。彼らに有利な情報を与えてしまった。チケットに余裕がないことにしておかないと、このままでは彼らは本気で動かんぞ。しかし、それはそれで楽しめるか、と心が揺れ動く僕。その間、彼はいろいろ言い訳を始める。「すみません。Baliの担当者のミスです。本当に彼らには困ったものです。先日もフランス人のお客さんがわずか4ヶ月の赤ちゃんを連れて参加して、おまけに赤ちゃんが途中で病気になって、病院だあ!薬だあ!と対応が大変だったんです。それで今回はこれでしょう。もう先週からトラブルばっかりで、我々大変なんですよ」等と最初の硬い表情はどこへやら、余裕がでたのか、楽しそうにおしゃべりをはじめるではないか。
 あー、結局、明日の朝、空港に行って朝の便のキャンセル待ちをしてみましょうということで話は終わった。
 翌朝、Beniと係員がホテルに迎えに来たので、そのままキャンセル待ちをするため空港に向かった。朝はほぼ同じ時刻に2便飛ぶらしい。チェックインカウンターのある建屋は、すでにお客で一杯である。欧米人とインドネシア人が同じくらいの割合だ。FloresもBaliと同じく欧米人の観光客が目立った。しかし日本人を含めた東洋人はほとんど見かけない。欧米人とは旅行の志向が違うから、しょうがないとは思うけど。
 キャンセル待ちの方はどうなっているのかよくわからない。カウンターに係員ずっと張り付いて何やら交渉している。時々僕らの方にやってきて、まだ取れないけどもうちょっと待ってくださいと言うだけ。息子は早く海に行こうようとぐずりだす。息子はBaliに戻ることよりとりあえず海で遊びたいようだ。1時間半くらい経ち既にカウンターの前にお客がいなくなり、カウンターを閉め始める雰囲気が出てきた頃、今回はもう駄目だなと思っていると、係員が急いでやって来て言った。チケットが取れたので手続きを急いでくださいと。チケットが取れたらしい。きょとんとする息子の手を引っ張ってカウンターに急ぎ、チケットをもらった。
 やれやれ、何とか無事に取れたようだ。飛行機は出発間際だったようで、搭乗待合室に入ると直ぐに搭乗が始まった。飛行機は行きの便と同じ型式だ。座席に座ると、空席がけっこうある。数えたら何と7席も空いていた。なんだ結構キャンセルがあるじゃないか。これで本当に今日の便は全席満員なのだろうか。うーむ、最後までよくわからん旅だった。

Labuhan bajoで泊まったPuncak Waringin Hotelエアコン付きのインドネシアでは中級のホテル
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ホテルから眺めるLabuhan Bajoの町並み。ホテルは町の裏山の中腹にあり、眺めが良い
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裏山にハイキングに行った
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めずらしく夕焼けが美しかった
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komodo島ツアーその3

 停泊した場所は風や波の影響がない小さな湾内である。ツアーのルートはどのボートも同じなので停泊場所に、同じようなツアーのボートが何隻も泊まっている。回りに人工的な明かりもほとんどないので夜空の星も良く見える。
 そんな静かな夜を楽しんでいたら、小さな手漕ぎボートがそうーっとやって来た。何だろうと見ると、何と土産物売りだった。Baliの海岸によくいるような土産物売りがボートでやって来たのである。真珠や彫刻など、どこにでもあるような物を売りに来たのだ。興味がないので断ったらすぐに離れて行った。しかし、次の舟がまたそーっとやってくる。どうもうちのボートが停泊地に到着したのをどこからか見ていたようだ。周りに集落の明かりは全く見えないのにどこから来たのだろうか。暗闇の中から突然ボートがぬっと現れるのはちょっと不気味である。

翌朝の停泊地の様子。船が数珠つなぎになって泊まっている
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起床は6時。朝食はいつものパンケーキと焼きバナナ
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Komodo島の唯一の集落、地名はkomodo
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船首に座ってのんびり進む
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 翌日は朝からKomodo島のドラゴントレッキングに参加した。Rinca島よりKomodo島の方が広くてドラゴンが分散しているためドラゴンを見つけにくいらしい。昨日と同じようにトレッキングを1時間ほどしたが、結局、純粋な野生は1匹(1頭)しか見ることが出来なかった。まあ、サファリランドのような動物園じゃないので本当の野生に出会うのは難しいようである。
 ここでもガイドが付く(有料)。若そうなので経験年数を尋ねたら、「1週間です」という答え「えっ? 1週間!」と僕が驚きの声を上げたのに気が付いた隣のベテランガイドが「この子は高校生で、忙しいときのバイトだよ」と教えてくれる。Komodo島の西隣のSumbawa島からバイトに来ているらしい。うーむ、なぜか今回のツアーは若いガイドばかりだ。ちなみにこの高校生、経験が少ないせいか、あまり説明してくれない、こちらが何か質問したら答えてくれるけど、ツアーガイドのBeniが先に答えてくれることも多く、結局あまり役に立たなかった。まあ、あんまり難しいことを説明されてもこっちが聞き取れないから、まあどうでもいいといえばいいのだが。。。

ボートから小さな渡し船でKomodo島に上陸する。
ツアーのボート5、6隻を回ってお客を拾う。
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ガイドのBeniがずうっと子供の手を引いてくれていた。僕は撮影で忙しいのだ
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鹿も時々見かけた
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トレッキング中に唯一見つけたドラゴン
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お腹の横、脇腹を飛行機の翼のように広げて飛ぶトカゲ
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 ガイドが持っているY字型の木はドラゴン除けの杖である。なぜかドラゴンは先端のY字が怖いらしい。いざという時はこれをドラゴンに向けると逃げていくらしい。ほんまかなあ?
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杖がたくさん用意されている
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餌付けされているドラゴン
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 ドラゴントレッキングが終わったら、ピンクビーチという砂がピンク色がかった浜辺に移動して泳ぐ。赤色のサンゴが砕けて出来た砂がたくさん砂浜に含まれているから遠目にはピンク色に見えるのだ。沖にはサンゴも豊富にあるのだが、ちょっと流れが速くて安心して泳げない。結局、泳ぐのはそこそこにして浜辺で遊んだ。息子は砂遊びが大好きなので、浜辺だけでも十分満足したようだ。ここは1時間くらいで切り上げて、次の島に移動だ。

ピンクビーチ。うーむ写真ではあまりピンクに見えない
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この赤いサンゴが砕けて砂になっているようである
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ピンクビーチ沖のサンゴ
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 次のKanawa島は、小さな島だが食堂と宿泊施設がある。欧米人の客が数人宿泊しているようだ。島の周囲はビーチに囲まれており、サンゴも豊富で楽しそうであるが、天気が悪く、曇ってきたので結局泳がなかった。砂浜で1時間くらい遊んだあとでボートに戻った。さあ、次はどこに行くの?とBeniに尋ねたら、今日はこの島で停泊するらしい。え? まだ3時だよと思ったけど、Beniはまだ時間はたっぷりあるからここでのんびりしましょうと言う。何じゃ、それを早く言え。これならピンクビーチでもっとゆっくりしとけばよかった。ボートは浜から離れた沖合いに停泊しているので、気軽に浜に戻れない。
 結局、ボートの中でうだうだと過ごした。息子と一緒にしりとりをしたり、手帳に絵を描いたりして暇をつぶした。

Kanawa島
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カヌーのような手漕ぎの渡し船で上陸する。後ろで漕いでいるのは我々のボートの調理人。
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浜辺の様子
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ボートに戻ったら暇になった
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絵を描いて遊ぶ
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操舵室で遊ぶ
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雨が降って来たので、船室の上にブルーシートを掛ける。雨漏りするようだ。
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この海域周辺は乾燥しているのか大きな木が生えていない。人工物もまったくなく荒涼とした風景が続く
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プロフィール

pahoehoe

Author:pahoehoe
ブログのタイトルpahoehoeとはハワイ語で滑らかな溶岩を指す。溶岩洞窟の調査で訪れたハワイ島で水飴のように流れる溶岩を見て衝撃を受けた。また、パホエホエという語呂が好きなのでハンドル名によく使用している。
本名:山西敏光
居住地:島根県松江市
出身地:広島県広島市
特技:ドジョウすくい
モットー:死ぬ気で遊べ!
家族:妻、子(二人)

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